Created: Tuesday, 01 January 2019 11:35 | Rate this article
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日本でもマルクスをリバイバルさせよう!


ヨーク大学准教授
マルチェロ・ムスト
1976 年イタリア生まれ。さまざまな国際シンポジウムをオーガナイズするなど「マルクス・リバイバル」をけん引する世界的なマルクス研究者。著書に『アナザー・マルクス』(堀之内出版、2018 年)、"Workers Unite!: The International 150 Years Later," Bloomsbury USA Academic, 2014 など。


二〇一八年はマルクス生誕二〇〇周年でした。近年、世界中でマルクス再読の動きが広がっています。なぜいまマルクスが再評価されているのか、そして、こうした世界的な流れのなか、日本で私たちがするべきことは何か。「マルクス・リバイバル」の旗手役として活躍されているマルチェロ・ムストさんにお話しいただきました。
※本記事は、二〇一九年一月一五日に開催された POSSE Cafe第二回「マルクスと現代の若者の労働」の抄録です。


マルクスのアプローチがいま求められている

 マルチェロ・ムストです。一九七六年にイタリアで生まれ、高校生のときに活動家になりました。当時取り組んでいたのは、難民を支援する反差別運動です。大学で反資本主義や共産主義を勉強しました。大学に入って以降もずっと活動を続けていて、大学の先生になったのは偶然です。博士号を取得後は、六年のあいだにベルリン、アムステルダム、コペンハーゲン、オスロを転々としました。そして二〇〇九年にカナダで大学の教授としての仕事を得ることができました。
 故郷の美味しいイタリア料理を捨ててまで(笑)マルクスを勉強しようと思った理由は、やはりマルクスが、この複雑な社会を一体として把握・説明することができている、ということに尽きます。
 ここ三〇年間の流れを見てみると、いまこそマルクスを読むことが切実に求められている時代だといえます。マルクスの対極にあるのが、たとえばポストモダニズムと呼ばれる思想であり、これは基本的には社会の一部だけを取り出して説明するという性格が強いですね。
 こういう一部分だけを扱うというアプローチは、学問の領域だけではなく、社会的な領域においても少なくありません。たとえば、ここ二〇年の社会運動の歴史を見ても、多くは社会問題の一部分しかアプローチしない。もちろん、私はこれらの社会運動を支援しますし、非常に重要な取り組みであることは認識していますが、でもそこには限界がある。なぜなら、それぞれが個々の問題の解決を図ろうとしても、それだけでは依然としてそれらの根本にある大きな問題は解決できないからです。その大きな問題というのが、マルクスが資本主義と呼んだものです。
 この資本主義という言葉自体が、最近は使われなくなってきています。マルクス以前は、資本主義は普遍的なものであり、永遠に続く自然的なものだと捉えられていました。ここに、マルクスを踏まえて考える意義があるのです。


「資本主義は永遠で不変である」?

 さて、現代のほうに目を向けていきましょう。現代の抱える大きな問題は、社会運動がなぜ、それほど広範に広がっていないのか、ということです。これは一九九一年にソビエト連邦が崩壊したことで、いわゆるマルクス・レーニン主義がダメだ、と考えられるようになったことが大きいですね。ただし、こういったマルクス・レーニン主義、あるいは社会主義国といわれるソ連などの国々というのは、マルクスの思想とはほとんど関係がありません。マルクスは、その国家体制を正当化するために都合のいいように利用されたにすぎません。マルクスのいうような市民や労働者が自由に個人を表現するということは禁じられおり、むしろ非常に抑圧的で非民主的な政治体制でした。
 ソ連の崩壊に対する反応は二パターンあります。一つには、資本主義は永遠で不変であると捉えるようになり、人々が資本主義という言葉を使わなくなる。そして、「リベラリズムが問題をすべて解決するのだ」という言説が非常に強くなります。
 もう一つは、いろいろな社会運動が現れてきたのですが、先ほども述べたように、一般的な社会全体の問題を解決しようとしていないのですね。


労働者側からの闘争なき階級闘争

 それでは、このようななかで何を考えなければいけないか。今日お話しするのはマルクスの理論でももっとも使い古された話ですが、でも私は日本で一番重要な話だと思っています。それは、「階級闘争」です。
 日本を外から見ていると、階級闘争は実に非常に多くの場面でおこなわれているんです。ただ日本に住んでいる人々にはそれがなかなか見えていないんですね。ここで、階級闘争とはもちろん労働者と資本家との闘いのことですが、相互に闘うわけですから、労働者の資本家に対する闘いだけではなく、資本家が労働者と闘うことも含まれる。ここ三〇年間では労働者が闘う機会がほとんどなくなってしまっていて、逆に、資本家の側が労働者に対してもっと苛烈に闘っています。
 世界を見てみると、冷戦時代に、ソ連以外の国家は自国に社会主義が拡がることを恐れて、社会民主主義的な政策を非常に多くとりいれました。いわゆる階級妥協です。これは今日では福祉国家と呼ばれています。この福祉国家はこの三〇年で激しい攻撃にさらされてきました。これは世界的な現象ですが、こうした福祉国家に対する攻撃は、新自由主義と呼ばれていますね。労働者が資本家に負けているということです。
 こうしたなかで進んでいるのが、雇用の不安定化です。グローバリゼーションによって一五〇年前のマルクスの時代よりも、マルクスが言ったことがかなりはっきりと現れてきています。利潤を最大化するために日本からの生産拠点の移転もかなりおおっぴらにおこなわれています。
 あるいは富の格差の拡大という面から見れば、五~六〇年前よりも状況は圧倒的に悪化しています。ソ連が崩壊した時に、「これからは労働運動の妥協を踏まえなくても資本主義が全部調整してくれる」という話がかなり跋扈しましたが、その結果はどうでしょうか。南北間のグローバルな格差が拡がり、かつ環境破壊が爆発的にすすんでいます。利潤を最大化するために生産力をあげていけば、いずれ環境が生産力の発展の制約になるとマルクスは述べたわけですけれども、まさにいま起こっていることですね。
 福祉国家そのものは資本主義の枠組みを超え出るものではないですから、究極の目標にはなりません。とはいえ、マルクスは資本主義を克服するために福祉国家を利用することは評価していると私は考えます。それは福祉国家が労働者の生活環境を向上させるからであり、とりわけ重要なのは労働時間の短縮です。実際、機械化やテクノロジーがこれだけ発展していますから、本来は労働にもっと余裕があってしかるべきなんです。なぜそれができないのかというと、自由時間をすべて資本家が掌握しているからですよね。


いまの社会体制と闘うための武器

 ここで階級闘争に関してマルクスが言及していたことをお話しすると、マルクスは、労働運動などの闘争に参加することで、労働者の個人的な解放を目指していました。そこで一番重要なのは、誰かに任せていたら何も達成できない、ということです。労働者自身による解放が重要だということですね。
 ギリシャ語でポリスという言葉があって、ポリティクス(政治)の原語であるわけですけれども、重要なのは参加のプロセスなのです。しかし、いま起こっていることはまさに真逆のことで、人々は何かがあってもそれを消極的に受け入れてしまっている。
 日本においては、既存の社会機構や体制に対する批判が弱いのではないでしょうか。たとえば、二〇一八年はマルクス生誕二〇〇周年でしたが、国によっては「一九六八年」の五〇周年を祝った国もあります。一九六八年には学生たちが、たとえば女性の家庭内における抑圧や、あるいは既存の権威主義的な体制を批判する運動に取り組んでいました。このように現存の問題含みな体制と闘うことが、いまの日本ではさほどおこなわれていないのではないかと思います。
 他方でヨーロッパの状況はどうかといえば、現在ヨーロッパの経済政策は基本的にIMFや国際通貨基金、欧州委員会といった組織の官僚が一方的に決めてしまっていて、個々の国家ではほとんど何もできないという状況になっています。そのなかで、労働者は以前に比べてより長く働かなければならなくなってきています。
 とはいえ、ネガティヴな話ばかりではありません。近年ではこうした既存の社会体制に対する批判的な動きも出てきています。一番よく知られているのは、二〇〇八年の金融危機後に起こった運動ですよね。資本主義に対するオルタナティヴがたくさん議論されました。学問の世界にとどまらず、社会的な領域でもこういった動きが出てきています。
 ただし、そうした動きは左右どちらからも出てきていて、もし極右の台頭をこのまま許すのであれば、いっそう悪い社会体制になる可能性もあります。排外主義が蔓延して軍隊が政権をとるような社会体制もありうる。
 その一方で、左派の側からしたら革新的な体制を生みだしうる余地があるということです。ソ連はかなり抑圧的な体制でしたが、ソ連が崩壊した一九九一年の後には、「そうではない別のかたちでどうやったら社会を組織できるのか」という議論が起こっています。そのようにしていかないと、実際に格差がどんどん広がり、戦争が起こり、難民が大量に発生し、環境破壊がどんどん進んでしまうからです。こういったなかで新しいアイディアが次々に出てきている。
 近年、マルクス・リバイバルが世界的な流れになっています。日本ではまだかもしれませんが、世界では各地でマルクスに関するシンポジウムがおこなわれていて、多いときには一〇〇〇人以上が参加して議論しています。
 では、なぜマルクスはいま再評価されているのでしょうか。マルクスが言ったことは、マルクスが生きた一八五〇年代の社会にだけあてはまるわけでも、イングランドないしはヨーロッパにだけあてはまるわけでもなくて、もっと普遍的な資本主義の傾向や矛盾を捉えているからです。マルクスを教条主義的に捉えるのではなく、きちんと自分たちで考えていけば、必ずヒントが見つかるでしょうし、マルクス本来の意義を再発見できるだろうと思います。くり返しになりますが、資本主義は歴史的なものであって、永遠の自然的なものではありません。労働者個人の解放にとどまらず、資本主義的生産様式を変革し、どうやったら環境に負荷をかけずに生産ができるかを考えていくこともできるでしょう。


では、私たちはどうするか

会場からの質問:日本の現状に対して、私たちはどのように動いていけばいいのでしょうか。

 フラストレーションが高まっているのはよくわかります。日本のように運動が困難な国では特にそうかもしれません。でも「こうやったらこうなる」という魔法のような何かがあるわけではない。私たちがこれから何をするかで変わってくるのです。
 たとえば労働運動の歴史では、これまで「革命は自動的に起こる」「資本主義が行き詰まって労働者の生活環境が悪くなっていけば不満を持って自然と立ち上がるのだ」と言われてきましたが、私は違うと思います。重要なのは、研究をおこなうこと、そして仲間を組織することです。イタリアのグラムシという学者は「学ぶこと、そして組織すること、これらが重要だ」と説いています。社会について勉強し、どういう仕組みで社会が動いているかを理解する。そして、それにとどまらずに実際に人々を組織することです。
 理論活動と実践をおこなっていく―これはまさにマルクスの人生でした。マルクスの理論はつねに労働者階級のための理論であって、実際にマルクス自身が第一インターナショナルで、労働者を組織したり労働者向けにいろいろなものを書いたり、という実践をしています。ですからたとえば、大学のなかで学生を組織してみたり、映画鑑賞会を開いてみたり、あるいはデモをおこなったり、あるいはPOSSEがおこなっているように雑誌を発行してみたり、こういった具体的な実践が非常に重要だと思います。
 グラムシが言ったのは、文化、そして教育が果たす役割の重要性です。人々が階級意識を育むのには非常に時間がかかります。そして、歴史的にみても教育はほとんどの人々にとって、もともと与えられていたものではありませんでした。女性は基本的に教育から排除されていましたし、労働者は差別されていて、八歳くらいから現場で働いていたので教育を受ける機会がありませんでした。民族的な差別も非常に横行していました。そういった人たちが勉強したのは、労働組合の支部などといった場所だったのです。
 こういった長いプロセスの積み重ねが福祉国家につながりましたし、そのなかでまともな仕事を求めたり普通に生活できる住居を確保できるようにしたりしていったのです。いまの状況を悲観的に捉える必要ありません。かといって楽観的に考えているだけでは社会はよくならないので、もっといまの社会を深く理解していくことが重要だと思います。